愛されるよりも・・・?
若い彼の思いを読んでて、昔の自分をよく思い出す。
俺もこんなストレートでピュアやったよな・・・。
今日は「愛されるよりも」てゆうテーマで書き始めていた。(終わりは違う話になってたけど)
そこで俺がかつて思ってたことについて書いてみることにしました。
俺は、20代前半の頃
とても「愛したかった」
誰をてゆうことやないけど
誰かに対して自分がどこまで無私になって愛せるんか
とことん愛してみたかった。
自分のエネルギーを愛するということに燃やし尽くしたかった。
その頃の俺は自分に自身が持てず(というより自己嫌悪やったかな?)
うつむいて暮らしてた。
そんな自分に対して好意を示してくれる異性はいてたけど
自分は夢中になられへんかった。
そのころに思った。
「愛されるよりも、愛したい。」
「愛される」のに努力もいらんし、技術もいらん。
(昔「愛される技術」なんとかてゆう本があったような気がするけど、
そんなんまやかしやと思う。技術によって得る愛も嘘っぽいし)
けど「愛する」ためには、人間としての成熟も必要やし莫大なエネルギーもいる。
そんな大きな愛を自分以外の存在に向けられる人間になりたかった。
それがすなわち「愛したい」てゆうことへの渇望やったんやと思う。
え?今?
うん、愛してますよ。
いっぱい!