色々な場面でこのふたつの見方で
「根本的に分かれるなぁ」と実感してる。
小学生などの子どもが悲しい事件の犠牲になると
「学校・通学路の安全確保を」
「知らない人に話しかけられたら逃げなさい」
こうして子ども達に性悪説的な人間観が刷り込まれていく。
残念ながら現代社会では信用できる人間関係の中に
身を委ねられてる人はごく少数派やと思う。
俺かて周りの人間すべてを信じてて
鍵もかけずに外出するか?って言われたら
一応は鍵をかけたりしてる。(裏はあいてるけど・・・)
けど、根っからの悪人なんておらへんと思ってる。
小学校6年生の時に憧れの先生(1年生の担任)がいてて
その先生が卒業の時の俺のサイン帳に書いてくれた言葉
「人は誰しも子どもだった。だが、そのことを覚えている大人は少ない。」
――サンテグジュペリ――
子どもはみんな純粋。
育つ環境の中で価値観や人への接し方が育まれる。
現代の日本社会の中では不幸にも人を信じられへん、
信じたらアカンていう教え方がされる。
生まれながらの悪人なんて(滅多に)存在せーへん。
後天的に獲得した資質はあくまで表面的なもので
言うならば「トッピング」にしか過ぎへん。
そのトッピングをまともなもんにする努力をせんと
「食べたらアカン」ていうことばっかり教える今の社会を
俺はおかしいと思う。
マスタードでトッピングされたケーキの中身は
ものすごく甘くて柔らかいスポンジが隠されてる。
俺はマスタードを削って食べる食べ方を教えたい。
抗菌グッズがもてはやされるけど
菌を遮断・隔絶するんとちごて
抵抗力をつけて菌と共生できる人間こそ
強い人間やと思う。
100%の善人もおらんかわりに
100%の悪人もいてない。
もっと
「信じること」
「信じあえる」関係をつくることにこそ
力を使うべきなんやと思う。